艶笑譚 ◆◆

問題は今日の雨

 

性に関する出来事をおもしろおかしく語った、とても大らかな物語り、艶笑譚。その多くは、すらっとがはっと笑って済ませられるようなものばかりなのですが、私の知る限りその概念に当てはまらないものが一話だけあります。お馴染み佐々木徳夫さんの『民話みちのく艶笑譚・第2集』に収められている『おれには孫だが』という一話です。

 

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ある家(え)で息子が兵隊にとられで、お父(ど)っつぁんどお母(が)っつぁんど嫁御(よめご)どして、一生懸命(いっしょけんめ)稼いでだんだどしゃ。

とごろが、仲良ぐ稼いでるうぢにお父っつぁんど嫁御ができてしまって、子供を拵(こ)せでしまったつんだね。お母っつぁんはその子供が憎いげんとも、できてしまったもの、子守コしねげ、嫁ば稼がせられねしど思って、子守コしながら、

   寝ろでばやあ   寝ろでばやあ
   おれには孫だし  亭主
(とど)には子だし
   眠
(うね)った振りして  死(す)んだ方(ほ)いい

て、子守唄に歌ったんだどしゃ。

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人間の生の、内に秘められた不条理を淡々と語った、異端の物語りです。

まえがきの中で、佐々木氏は奥さんの言葉を借りて次のように語っています。「荊妻が他の艶話のように手放しでは笑えぬ悲憤を感じたという。(中略)老婆の口ずさむ子守唄の中に、やり場のない心情が滲み出ていて、男女の愛憎を越えてこんなところにも戦争犠牲者がいるのかと漏らした」と。


数年前、宮城県美術館で開催された『ピュリツァー賞写真展』を見てきました。ピュリツァー賞とは、ジャーナリズム、文学、戯曲、音楽の各分野で功績のあった人に贈られる賞で、その時の展示会はそのジャーナリズム分野の写 真部門からの作品でした。いわば報道写真のノーベル賞のようなものです。ほとんどが社会問題を取り上げたもので、戦争や人種問題に関係する写真が大部分を占めていました。二百三十点の受賞作品はどれも決定的瞬間を捕らえていてすばらしいものなのでしょうが、私には少々きつすぎたようです。見ているうちに気が滅入ってきて、感動などとはほど遠いものでした。一応全点に目は通 してきたのですが、どうしても辛いものを覚えて仕方ありませんでした。

美術館を出た私は、鬱積したものを払うかのように一冊の本を購入しました。岸川洋子さんの『茅葺(かやぶき)東京』という写真集です。以前からその写真集を目にはしていたのですが、それまでは何ともなしにページを捲るだけで終わっていました。しかし、ピュリツァー賞の後のそれはまるで違っていました。これは私が持っていなければならないものだという思いに駆られたのです。

『茅葺東京』は、東京都大田区池上の、ある茅葺き家とそこに住む老夫婦を十数年かけて撮影されたものです。収められている七十四点の作品はすべてモノクロで描かれていて、岸川カメラマンの思いやりに満ちた優しさが溢れています。その中にいるおじいちゃんとおばあちゃんがとてもいい表情をしているのです。この写 真集が発刊される数年前にお二人は他界し、家も取り壊されてしまったそうですが、なにか気持ちを新たに、前向きにさせてくれる写真集でした。

私はひとつの歌を思い出しました。

    都会では自殺する若者が増えている…
    …だけども問題は今日の雨 傘がない

井上陽水の『傘がない』。よく報道では死亡者何人、負傷者何人などと言いますが、人数など問題ではなく、肝心なのは一人の人間がどうなったかです。どんなときでも個人を最優先に、尊重すべきです。まして戦争なんて話題にするのもナンセンス。それが人間の本性だから。殺し合い、独占し合って、今の世の中があるのだし、戦争が悲惨で、あってはならないことなど百も承知のはず。問題は戦争で死んだ息子や、それで生まれた孫と老婆の関係にあるのです。

それにしても関東大震災や第二次大戦に耐えてきた茅葺き家。九十年もそこに住んできた老夫婦。私はお二人の笑顔に深い感動を覚えずにはいられません。

 


★参照…『民話みちのく艶笑譚・第2集』(佐々木徳夫著・ひかり書房)
『茅葺東京・岸川洋子写真集』+(岸川洋子著・光村印刷株式会社)

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