艶笑譚 ◆◆

大いに和らぐ

 

日本人は「勤勉で律儀で忠誠心旺盛な忍耐強い民族」だとよく言われますが、実際のところどうなのでしょう? この堅物のような日本人像は明治、大正、昭和と時代が進むにつれて作り上げられた軍国形成のための全体主義的策略による幻想から生まれたもので、ひたすら個を隠し通 し、全体の中の一部品として機能するように仕組まれた仮の姿なのです。そしてその幻想をそのまま企業や団体が受け継いでいるために企業戦士なるものも生まれてくるのです。しかし、いざ仕事を離れて人間の本音の部分に帰れば、意外におおらかで和やかな人が多いのではないでしょうか。

日本の古称「大和」。これは言い換えれば「大いに和らぐ」ということです。「大和民族」「大和撫子」「大和魂」など「大和…」という言葉が付くものはいくつかありますが、すべて「大いに和らいだ…」と言うことができます。本来私たちの体の中にはこの「大いに和らいだ」血が流れているのです。


私の母は日本舞踊の師範をしています。毎年新年が明けるとお弟子さん達も含めて新春を祝うお舞初めが行われます。こう書くといかにも儀式めいたものに聞こえますが、実を言えば母が主宰する舞踊教室の新年会なのです。ある年のお舞初めに私もカメラマンとして参加したことがあります。第一部は母とお弟子さん(殆どが五十歳以上のおばさん)達による踊りの発表会で、引き続き行われる第二部は余興などを盛り込んだ宴会です。ここで私はある異様な光景に出くわすことになります。初めのうちはカラオケで盛り上がっていたのですが、やがて、腹踊りや天狗踊りなど日本舞踊の範疇から外れた踊りを経てエッチなものへと進化して行きました。最後に披露された、天狗のお面 を股間に付けておっぱいポロリの腰振り踊りはまさに圧巻でした。そしてそのターゲットが純真無垢な私に向けられたことは言うまでもありません。

このなんとも艶笑譚的なおおらかさは、他に例えようがありません。取り繕った日本人としての体裁を拭い捨て、大和民族本来の大いに和らいだ一個人に戻ったとき、はじめて私達の真の姿が現れてくるものです。


艶笑譚の起源を探るのは不可能に近いのですが、少なくとも大昔から「大和魂」に根ざしたエッチな笑いは存在していたようです。またエロチシズム文学が一般庶民に向けられたのは江戸時代からで、出版物に対する規制が厳しくなる前の江戸時代は、正に宝庫でした。この頃の庶民文芸の殆どには何らかのエロチシズムが盛り込まれていました。


ここで、江戸艶笑文学の最高峰ともいえる『阿奈遠加志(あなおかし)』という歌物語から、『ささやかな法会』という一話を紹介します。

 

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尻のあな、そのとなりめくところをよびて、前どのハまだおめざめたまはぬにや。よべはいかなるまれびとのおはしましつるにか、いとにぎはゝしくて、よそながらいもねられ侍らざりきといふ。前いとはづかしげにて、何ばかりのことも侍らざりしが、よべはなき人の逮夜にて侍れば、いさゝかみのりのわざをいとなみ侍りしといふ。尻うなづきて、げにさればにや、見なれぬ 大法師の、いでいりしげく侍りつるはとぞいひける。


尻の穴が、その隣ともいうべきところに声をかけ、「前どのは、まだお目覚めではありませんか。昨夜は、どんな珍客がご訪問されたのやら、とても賑やかで、隣の私も寝てられぬほどでしたよ」といった。前はひどく恥ずかしそうにして、「何ということもなかったのですが、昨夜は亡き夫の逮夜(たいや)でしたので、ささやかに法会を営んだのでございます」と答えた。尻はうなずき、「なるほど、そんな訳だったのですね。見なれぬ 大きな坊さんの出入りがはげしかったのは」といった。

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★参照…『日本の艶本・珍書』(自由国民社)

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