デカダンダンダンス ◆◆

宇宙大の存在学

 

状況はまたきびしくなってきたようです。昨年の二の舞はゴメンだ、と思ってみてもそれが現実なのだから諦めるしかないようです。昨年は、せめて気分だけでも正月をと、着物を着て独り黙々とパソコンに向かっていた3箇日。1年を振り返ってみれば仕事を休んだのはたったの5日だけでした。おまけに『ぢ』というものもはじめて体験しました。まあ、今年は元日に休めただけでも偉いと自らを褒め称えていました。

私はこう見えても、本当はのんびり屋のダルな性格なのです。こんなに忙しくなる前は、サティやイーノを聴きながら、静かにゆっくりと寝起きを楽しむのが日課でした。そしてそんな自分に酔ったりもしていました。現実感さえまだない、あのふわっとした心地は、なんともふしぎな存在感覚を私に体験させてくれました。朝のひととき、そんな無為のぼんやりは、むしろ『無』のほうが私を利用して微睡んでいるようにさえ思えていました。
このような感覚を

お尻的存在

と言うのだそうです。

そこで、みなさんにもこの『お尻的存在』なるものを体験していただきたく、その方法をお教えします。

それは至って簡単で、朝、目覚ましが鳴ったら、とりあえずベッドから抜け出し、すぐそばに用意したソファーに転がるように移動します。そこでオーディオのスイッチを入れてください。流れる音楽は、やはりサティやイーノのような環境音楽かバロック、もしくは賛美歌がいいでしょう。そしてそのままの状態で数時間を過ごします。場合によっては、この間に本を読むこともできます。体は眠っている状態なのですが、神経は至極過敏で、文章を目で追っているだけでとてもよく頭の中に入ってきます。お薦めは『荘子』です。これだけで、大いなるものをきっと体験できるはずです。もし意識が顔を出しはじめてきたとしても、もう少しそのままにしておきましょう。
そんな意識は

この地球の表面で生き残るのに役立つ、ほんの一滴のもの

でしかないのですから。

いまでは不可能になってしまった『ぼんやりに於いての無為の実践』が、私にはとても懐かしく思われます。

締め切りの過ぎた仕事をよそに、また芽を出しはじめた『ぢ』を気にしながら、徹夜明けの今、この原稿を書いています。


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