デカダンダンダンス ◆◆ まいまいのりT
いましたよ。いたんですよ。この街にも。誰がって、縄師ですよ、縄師。縄師と言っても縄を編む人ではなく、縄で縛る人。縄は縛るためにあるもの。いやー、感激です。うれしいじゃないですか。その人が私のところに会いに来てくれたんですよ。マドという名前が気になっていたらしく「じつは私、こういうものです」と。 『団鬼六・緊縛ショー』を催してみたいと以前から思っていたのですが、ギャラも高そうだしと躊躇していた私にとって願ってもないチャンス。ボディー・ペインティングをやっている友人や艶笑譚の語り部なんかも入れて と題して、縄師の彼とひとつイベントでもやってみるか。 人間愛で思い出したことがあります。賛美歌を歌いたいと思い、カトリック教会の日曜ミサに通っていた頃のことです。その教会の神父さんはとても親切な人で、ミサが終わるとキリスト教に関係する本を毎週貸し出してくれました。その中に、三浦綾子さんの『塩狩峠』という小説がありました。勤勉で勇敢な鉄道員が登場する、なんとも人間愛あふれる長編でした。私はその小説を一気に読み終え、ふと気がつくと不覚にも泣いていたのです。小説を読んで泣くなんて生まれて初めてのことでした。いやー、まったく、私としたことが、なんとも情けない。 それからというもの、狂ったようにジョルジュ・バタイユやマルキ・ド・サドに浸っていました。数ヵ月後、やっと自分を取り戻した私はあることに気がつきました。塩狩峠のあの主人公、実は『偏執狂的偏愛論者』だったのです。それも自己陶酔型の。サディストもマゾヒストも究極は自らをもって成し遂げられるもの。暴走する汽車を止めるために線路に身を投げた彼の行為は、どこにも享楽を見出せなくなった一人の人間の『究極に於いての歓喜の実践』だったのです。 汽車が自分の体を切り刻むとき、彼はこの上もない喜びを、きっと感じたことでしょう。 |
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