艶笑譚 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 貞操観念
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ むがし、ある分限者が一人息子さ嫁娶(と)んのに、家(え)の釣り合いなんかよりも孫は何人あってもいいがら、健康で明るい人、ならば生娘(きむすめ)であるごど条件にしてだど。 ある仲人がお世話してえど思って、三人の娘こさ目星つけだげんとも、生娘がどうがの決め手は何によんだべや、困ってしまって、村の物知りさ行って相談したら、 仲人はこの年になって、こんな役得なら何ぼでもいいど思ったど。そごで、さっそぐ年かさの娘こ呼んで、娘の手こ引っ張って、われの物握らせだど。 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
結婚するときに女性が処女か否かを気にする風潮は、今は全くと言っていいほどありません。女性の貞操観を四の五の言うこと自体無意味になってしまいました。そもそもこの類の概念は男側から見た勝手なものでしかなく、決して女性を尊重した考え方ではありませんでした。しかし、男性は社会に出る前に童貞を捨て、女性は結婚まで操を守るという風潮が、ひと昔前まで世の中を席巻していたのも事実です。私が子供の頃(昭和30年代から40年代)にもまだ残っていたように記憶しています。しかし実際は、男性の思惑に反して女性は逞しかったようにも思えますが…。 このような慣わしは、日本の武家社会や特権階級の物欲がもたらした男性優位の習慣から来ています。それを一般庶民が真似をしだし、ある時代の流行にまでなったのです。しかしそれまでは、女性は一人前の女になってから結婚するという慣わしが一般 的だったようです。地域によっては生娘のままでは結婚は許されなかったというところもあったそうです。新婚初夜の初夜権は仲人にあり、花嫁が一人前の女であるかどうかを確かめた上で花婿に下げ渡していました。私も一度仲人を経験していますが、その時代に生きていたらと悔やまれます。ある地方の諺にこうあります。「初子は親に似ない」。 また、結婚を控えた生娘が誰か適当な人に女にしてもらうという地域もありました。自らその相手を求めたり、親が賢者や有力者に娘を預けていたそうです。そして宮城県下でも、婿の父親が花嫁と初夜を過ごすという風習が明治の初めまであったという記録もありました。他にも処女を神に捧げるという信仰からくる観念的なものも含め、数々の言い伝えがあります。 何はともあれ、ここ数十年性の解放とか男女平等などと言われてきましたが、女性の貞操観念をもう一度考えてみることもひとつの糸口になるかもしれませんね。
★参照…『みやぎ艶笑風流譚』(佐々木徳夫著・無明舎出版) 『性風土記』(藤林貞雄著・岩崎美術社) |
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